2026年3月11日、米国通商代表部(USTR)が「構造的過剰生産能力と製造部門における生産行為に関する301条調査」を開始しました。対象国・地域16か所にタイが含まれており、タイに製造拠点を持ち米国向けに輸出している日系企業にとって、看過できない動きとなっています。追加関税の実施はまだ先の話ですが、「様子見」のまま何もしないのは最悪の選択です。まずは自社の現状把握と情報収集から始めましょう。
1. 何が起きたか――301条調査の概要
USTRの発表内容
2026年3月11日、USTR(米国通商代表部)のジェイミソン・グリア代表が正式に発表しました。調査の正式名称は「構造的過剰生産能力と製造部門における生産行為に関する301条調査」です。
調査対象となった国・地域は以下の16か所です。
中国、EU、シンガポール、スイス、ノルウェー、インドネシア、マレーシア、カンボジア、タイ、韓国、ベトナム、台湾、バングラデシュ、メキシコ、日本、インド
タイとともに日本も対象国に含まれている点は、日本本社からも注意が必要です。
調査の焦点:「構造的過剰生産能力」とは
今回の調査が対象とするのは、鉄鋼・半導体・EV・バッテリー・太陽光発電などの製造業における「構造的過剰生産能力(structural excess capacity)」です。特定の国・地域が政府補助金等によって生産能力を過剰に拡大し、世界市場を歪めているとUSTRが判断した場合、通商法301条に基づく対抗措置(追加関税等)が発動される可能性があります。
今後のスケジュール
| 時期 | イベント |
|---|---|
| 2026年3月17日〜 | パブリックコメント受付開始 |
| 2026年4月15日 | 書面コメント提出期限(23:59 EST) |
| 2026年5月5日〜 | 公聴会(ヒアリング) |
| 2026年7月頃(目安) | 調査完了・追加関税の措置発動見込み |
背景:最高裁判決と301条への「ルート切り替え」
今回の調査開始には重要な背景があります。2026年2月、米連邦最高裁がトランプ大統領のIEEPA(国際緊急経済権限法)に基づく「相互関税」を違法と判断しました。これを受け、トランプ政権は通商法301条という別の法的根拠に乗り換えて関税政策を再構築しようとしていると見られています。
現在は、Trade Act Section 122に基づく暫定一律10%関税が150日間の期限付きで課されています(2026年7月頃に期限切れ)。301条調査に基づく新たな措置がこれを引き継ぐ形になると想定されています。
2. 301条とは何か――日本企業に馴染みのある言葉で
通商法301条の基本的な仕組み
301条(Section 301 of the Trade Act of 1974)は、米国の通商慣行に反する外国の行為・政策・慣行に対し、USTRが調査を行い、報復措置(追加関税・輸入制限等)を発動できる法律です。
手続きの流れは概ね次のとおりです。
- USTRによる調査開始(今回はここ)
- パブリックコメント・公聴会での意見聴取
- 調査結果の取りまとめ
- 大統領への勧告・追加関税等の発動
過去の先例:2018年の対中301条関税
この仕組みが最も大きく機能したのが2018年の米中貿易戦争です。USTRが中国の知的財産侵害・技術移転強制を問題視し、300億ドル超の中国製品に7.5〜25%の追加関税を課しました。この関税は現在も継続しており、日系企業の中国生産拠点から米国への輸出に大きな影響を与え続けています。
日系SMEへの直接的な意味
今回の調査は「タイで作って米国に売る」ビジネスモデルに直接影響します。これまで日本企業がタイに製造拠点を移した理由のひとつが、中国に比べて関税リスクが低いことでした。しかし今回、タイ自体が調査対象に入ったことで、その前提が揺らぎ始めています。
3. タイ製造拠点への具体的影響――セクター別に整理
電子部品(HDD・PCB・IC・半導体関連)
タイは世界有数の電子部品生産拠点です。2025年の電子部品輸出は22か月連続で成長しており、タイから米国へのHDD・PCB・ICの輸出量は相当な規模に達しています。
注意すべき点として、タイ電子部品セクターのRVC(域内原産地割合)が平均22.5%程度と低いことが挙げられます。原産地規則をクリアできない製品は、たとえタイで最終組立が行われていても「タイ産」と認定されないリスクがあります。中国からの部品依存度が高い工場は特に注意が必要です。
また、Western Digital、Seagate等の米系企業がタイにHDD生産拠点を持つ一方、リショアリング(米国回帰)の議論も浮上し始めており、中長期的なサプライチェーン再編の可能性も視野に入れておくとよいかもしれません。
自動車・自動車部品
特にタイヤは既存のアンチダンピング税に加えて暫定10%が上乗せされており、ダブルコスト構造になっています。BOI奨励を受けたEV関連投資も、301条調査の対象セクター(EV・バッテリー)に含まれているため、動向を慎重に注視する必要があります。
鉄鋼・金属製品
中国の過剰生産能力問題の「余波」としてタイも巻き込まれるリスクがあります。特に、中国製の鋼材をタイで加工して米国に輸出するモデルは、「迂回輸出(transshipment)」として問題視されやすい点に注意が必要です。
食品加工
加工鶏肉やペットフードなどは今回の調査対象セクター(製造業の過剰生産能力)とは直接つながりにくく、相対的に影響が小さい可能性が考えられます。ただし、301条の対象セクターが今後拡大する可能性は排除できません。
4. 「タイで作って米国に売る」モデルは終わるのか?――3つのシナリオ
現時点では追加関税の具体的な税率・対象品目は未確定です。以下はあくまで試算や見通しとして整理しています。
シナリオA(楽観)
301条調査の結果、タイの製造業における過剰生産能力は限定的と認定される。追加関税は鉄鋼等一部品目にとどまり、電子部品・自動車部品への影響は小さい。
シナリオB(中間)
特定セクター(鉄鋼、一部電子部品、タイヤ)に対して10〜15%程度の追加関税が課される。タイ工商会議所大学の試算では、19%関税で2026年の輸出損失が2,750億バーツ(GDP比1.48%相当)に達するとされており、中間シナリオでもその相当部分が現実化する可能性があります。
シナリオC(悲観)
広範な製造業に高率の追加関税が課され、タイ製造拠点の対米輸出競争力が大きく低下する。中国と同様の「デカップリング」が進む。
現実的な見通しとしては、中間シナリオの可能性が高いと考えられます。ただし、301条調査は政治的に利用されやすく、交渉カードとして機能することも多いため、不確実性は依然として高い状況です。
5. 今すぐやるべき5つの実務アクション
① 輸出品目のHSコードを確認する
自社のタイ→米国輸出品目がどのHSコードに該当するかを確認し、現在適用されている関税率(通常関税+Section 122の暫定10%+既存のAD税・CVD等)を整理しておくことが出発点となります。
② RVC(域内原産地割合)を計算する
タイから米国への輸出で原産地規則をクリアしているかどうかを確認しましょう。中国からの調達比率が高い場合、RVCが低くなり「タイ産」と認定されないリスクがあります。現時点でのRVC計算は今後の対応策検討に直結します。
③ サプライチェーンの代替シナリオを検討する
タイ以外での生産・調達の可能性(ベトナム、インドネシア、インドなど)や、米国内での調達拡大の余地を初期検討しておくことが考えられます。「タイ+1」戦略の枠組みで考えると整理しやすいでしょう。
④ パブリックコメントへの参加を検討する
2026年4月15日(EST 23:59)を締切とする書面コメントは、企業側が自社の立場を公式に示す重要な機会です。JETRO、在タイ日本大使館、日タイ商工会議所等の動向を確認しつつ、業界団体を通じた対応も検討に値します。
なお、パブリックコメントの提出先はUSTRのDocket No. USTR-2026-0067 / USTR-2026-0068です。
⑤ 専門家・業界団体への相談を開始する
通商法・国際取引の専門家への相談を早めに開始することをお勧めします。また、業界団体を通じて他の日系企業の動向・対応状況を把握することも有益です。
6. 中長期的な視点――サプライチェーン再構築の選択肢
タイ+1(Thailand Plus One)戦略
タイ拠点を維持しながら、別の拠点を追加する戦略が選択肢のひとつとして浮上しています。ベトナム、インドネシア、インドはいずれも今回の調査対象国に含まれていますが、セクターや関税水準によっては有効な分散先となり得ます。
JTEPA(日タイ経済連携協定)の活用
日タイ経済連携協定(JTEPA)は日本とタイの間の関税優遇を規定していますが、対米輸出においては直接の効果は限定的です。ただし、タイ国内での事業スキームや調達構造の最適化に活用できる余地は引き続き存在します。
タイ政府の外資誘致策との連動
タイ政府はBOI奨励制度の強化や外国人事業法(FBA)の改正を検討しており、外資企業にとっての規制環境は変化の途上にあります。関税リスクとタイのインフラ・人材・サプライチェーン集積の優位性を総合的に評価することが重要です。FBA改正の最新動向については「タイ外国人事業法(FBA)が25年ぶりの大改正へ」をご参照ください。
また、タイ進出形態の全体像を改めて確認したい方は「タイ進出の第一歩|連載第1回」もご覧ください。
まとめ――パニックにならず、情報を取り、動く
301条調査は2026年3月11日に「開始」されたばかりです。追加関税が実際に発動されるとしても、早くても2026年後半以降になる見込みです。したがって、今すぐ工場を閉めたり大規模な投資決定を変更したりする必要はありません。
しかし「様子見」のまま何もしないのは最悪の選択です。今できることは、自社の輸出品目・HSコード・現行関税率・RVCの現状を把握し、パブリックコメント参加の検討と専門家への相談を始めることです。
情報は急速に動いています。今後の展開として以下のタイミングで追加の情報発信を予定しています。
- パブコメ締切後(2026年4月以降):提出コメントの傾向分析
- 公聴会後(2026年5月以降):調査方向性の見通し
- 調査結果発表時(2026年後半):具体的な関税内容の解説
米国301条調査のタイ製造拠点への影響、サプライチェーン戦略の見直し、パブリックコメントへの対応など、日本法・タイ法・国際通商法の観点からアドバイスいたします。お気軽にお問い合わせください。
本記事は2026年3月12日時点の公開情報に基づく一般的な情報提供を目的としており、タイ法に基づく法的助言を構成するものではありません。具体的な案件については、タイの弁護士資格を有する専門家にご相談ください。当事務所では提携先JTJBのタイ人弁護士と連携して対応いたします。