このシリーズについて タイでビジネスをしていると、「日本では考えられない」トラブルに出くわすことがあります。このシリーズでは、日系中小企業によくある法的トラブルのパターンを、できるだけ平易なコラム形式でご紹介します。法律の教科書ではなく、「あ、うちも気をつけなければ」と感じていただける読み物として書いています。
月曜日の朝、バンコクのオフィスに出勤するとメールが届いていた。差出人は、5年間ともに働いてきた現地スタッフのAさんだ。「先週金曜日をもって退職します。これまでありがとうございました」——さて、あなたならこの後、どう動きますか?
「自分から辞めたんだから退職金はいらないよね」
多くの日系企業の担当者が最初に思うのが、このセリフです。日本では、自己都合退職の場合、退職金(法定ではなく就業規則上のもの)は減額・不支給となるケースが多い。その感覚のまま対応すると、タイでは思わぬ展開になることがあります。
タイの労働者保護法(Labor Protection Act)には、「解雇補償金(Severance Pay)」という制度があります。これは、使用者都合で雇用を終了する場合に支払いが義務付けられるもので、勤続年数に応じて金額が定められています。
| 勤続年数 | 補償金額(目安) |
|---|---|
| 120日以上1年未満 | 30日分の賃金 |
| 1年以上3年未満 | 90日分の賃金 |
| 3年以上6年未満 | 180日分の賃金 |
| 6年以上10年未満 | 240日分の賃金 |
| 10年以上20年未満 | 300日分の賃金 |
| 20年以上 | 400日分の賃金 |
(2019年改正後の基準。最新の法令・適用基準についてはタイ法の専門家にご確認ください)
これは日本の「退職金」とは性格が異なります。就業規則で定めるかどうかではなく、法律が直接定める義務です。
問題は「辞めた」のか「辞めさせた」のか
冒頭のAさんのケースに戻りましょう。Aさんは自分からメールを送ってきました。これは「自己都合退職」なので、解雇補償金は発生しない——それは正しいです。
ただし、話はそれだけで終わらないことがあります。
タイの労働関係では、「実質的には会社に追い出された」と主張する退職が時々問題になります。たとえば:
- 給与の一方的な引き下げがあった後に退職した
- 部署異動・職種変更を拒否したら居場所がなくなった
- 上司のハラスメントに耐えかねて退職した
このような場合、労働者側が「これは自発的な退職ではなく、会社都合の解雇と同等だ」と主張し、解雇補償金の支払いを求めて労働裁判所に申し立てるケースがあります。日本でいう「追い出し部屋」「退職強要」に似た概念ですが、タイでも同様の議論が起こりえます。
もう一つの落とし穴:「即日解雇」
逆のパターンもあります。問題行動のあった社員を「今日付けで解雇」としたい、というケースです。
タイの労働者保護法では、解雇には原則として事前通知が必要です。通知なしに即日解雇する場合は、通知期間に相当する「代替通知金(Pay in Lieu of Notice)」を支払う必要があります。さらに、正当な理由のない解雇であれば解雇補償金も加わります。
「問題社員だから理由がある」と思っていても、その「理由」がタイの労働裁判所で認められるかどうかは別問題です。タイの労働裁判所は一般的に労働者保護に積極的とされており、解雇理由の立証は使用者側が負う形になっています。
「事前に知っていれば」がほとんど
退職・解雇まわりのトラブルに共通しているのは、事前に少し知識があれば回避できたという点です。
- 解雇補償金の額を把握しておく
- 就業規則に懲戒・解雇事由をきちんと明記する
- 「退職合意書」を締結してから退職処理を完了させる
これらは「大企業がやること」ではなく、タイで雇用をする以上、規模にかかわらず対応が必要な基本事項です。
月曜の朝に青ざめないために——次回は、もう少し深刻なパターン(合弁相手との決裂)をご紹介します。
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本記事はタイの法制度に関する一般的な情報提供を目的としており、タイ法に基づく法的助言を構成するものではありません。具体的な案件については、タイの弁護士資格を有する専門家にご相談ください。当事務所では提携先JTJBのタイ人弁護士と連携して対応いたします。