この記事のポイント
- 10人以上の事業所はタイ語での就業規則作成が法律上の義務。就業規則のない懲戒解雇は無効になるリスクがある
- 不当解雇と認定された場合の損害賠償は「勤続1年あたり1か月分の賃金」が目安(要確認)だが、状況によりさらに高額になるケースも
- 日常的な書面管理と問題発生時の初動が、解雇トラブルを防ぐ最大の防衛策
はじめに
本連載「タイにおける解雇の法律実務」全5回の最終回です。ここまで、解雇法制の全体像(第1回)、通常解雇の手続き(第2回)、懲戒解雇の要件(第3回)、整理解雇・合意退職(第4回)と解説してきました。最終回では、これらすべての局面に共通する「予防法務」の実践を取り上げます。
解雇トラブルの多くは、解雇の段階ではなく、日常の労務管理の段階での備えが足りないことに起因しています。
1. 就業規則の整備:タイ法上の義務と日本との違い
作成義務
タイ労働保護法第108条は、常時10人以上の従業員を使用する事業所に対して、タイ語で就業規則(ข้อบังคับการทำงาน)を作成し、従業員に周知するとともに、**労働局への届出(Submission)**を義務付けています。届け出た就業規則のコピーは職場の見やすい場所に掲示する必要があります。
就業規則が存在しない場合のリスク:
- 懲戒解雇の根拠を失う(第4号事由が成立しなくなる)
- 行政罰(罰金)の対象となる可能性
- 裁判所が使用者の正当性を認めにくくなる
就業規則に必ず記載すべき事項
| カテゴリ | 記載内容の例 |
|---|---|
| 勤務時間 | 始業・終業・休憩・時間外の定義 |
| 休日・休暇 | 週休・年次有給・特別休暇の種類と日数 |
| 賃金 | 支払日・支払い方法 |
| 規律・懲戒 | 禁止行為の具体的列挙・違反時の処分段階 |
| 解雇・退職 | 解雇手続き・退職の申し出期限 |
| 安全衛生 | 安全規則・事故報告手順 |
日本との最大の違い:不利益変更には全員同意が必要
日本では就業規則の不利益変更は「合理性」の基準で判断されますが、タイでは就業規則を従業員に不利益な方向に変更するには、全従業員の同意が原則として必要です。一方的な変更は無効と判断されるリスクがあります。
特に、賃金・手当・休暇制度の削減・改定を行う場合は、変更前に専門家に相談することを強く推奨します。
2. 証拠管理チェックリスト
解雇トラブルにおける企業側の最大の弱点は「証拠不足」です。以下のチェックリストを参考に、日常的な書面管理を徹底してください。
採用・入社時の書類
- 雇用契約書(タイ語版を含む)への署名
- 就業規則の受け取り確認書への署名
- 職務記述書(Job Description)の交付と確認
日常の労務管理書類
- 勤怠記録(遅刻・欠勤を含む)の電子的保存
- 業務評価・MBO(目標管理)の記録と署名
- 定期的な1on1面談・フィードバックの記録
- 業務改善計画(PIP)の書面化と本人署名
問題発生時の書類
- 口頭注意の記録(日時・内容・立会い者を記録)
- 警告書(หนังสือตักเตือน)の写しと本人署名
- 始末書・反省文(本人が作成したもの)
- 懲戒委員会・事実確認会議の議事録
- 証拠物(メール・LINE・写真・防犯カメラ映像等)の保全
解雇手続き時の書類
- 解雇通知書(日時・理由・根拠条項を明記)
- 解雇補償金の計算書
- 退職金・有給買い取りの支払い証明
- 退職合意書(合意退職の場合)
- 社会保険・ワークパーミット取消申請の控え
3. 不当解雇と判断された場合の損害賠償
復職 vs 金銭賠償
タイの労働裁判所が不当解雇と認定した場合、原則として原職復帰を命じることができます。しかし実務上は、労使ともに関係修復が困難な場合が多く、金銭による損害賠償での解決が選ばれることが多いです。
損害賠償の目安
不当解雇の場合、裁判所が命じる損害賠償額は、一般的に勤続1年あたり1か月分の賃金程度が目安とされることがありますが、この数字は確立した法定額ではなく、事案の悪質性・勤続年数・使用者の態度等によって増減します(要確認:実際の金額は個別事情に大きく依存します)。
解雇補償金(第118条)との関係: 不当解雇の場合、裁判所は解雇補償金(第118条)の支払いに加えて損害賠償の支払いを命じることができます。つまり、不当解雇のコストは適正に行った解雇のコストを大幅に上回る可能性があります。
4. 予防法務の実践フロー
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flowchart TD
A[日常の労務管理] --> B[勤怠・評価・面談記録の蓄積]
B --> C[問題行動の発生]
C --> D["事実確認と記録<br/>(いつ・どこで・何を)"]
D --> E{重大な違反?}
E -- いいえ --> F["口頭注意を実施<br/>書面に記録"]
F --> G{改善なし?}
G -- いいえ --> B
G -- はい --> H["警告書の交付<br/>(本人署名取得)"]
H --> I{再違反?}
I -- いいえ --> B
I -- はい --> J[解雇の検討]
E -- はい --> J
J --> K{解雇の種類を選択}
K --> L["通常解雇<br/>補償金+予告"]
K --> M["懲戒解雇<br/>119条要件確認"]
K --> N["整理解雇<br/>60日前通告"]
K --> O["合意退職<br/>合意書締結"]
L --> P["書面記録・支払い・<br/>行政手続きの完了"]
M --> P
N --> P
O --> P
5. 全5回のまとめ
| 回 | テーマ | 核心メッセージ |
|---|---|---|
| 第1回 | タイの解雇ルール全体像 | 「解雇は自由だが補償金は必要。証拠なければ企業は負ける」 |
| 第2回 | 通常解雇の手続きと補償金 | 「勤続20年以上は400日分。退職後3日以内に全額支払い」 |
| 第3回 | 懲戒解雇の要件 | 「119条の6事由のみ。警告書なくしては成立しない(軽微な違反の場合)」 |
| 第4回 | 整理解雇・移転・合意退職 | 「60日前通告が鉄則。合意書の中身が全て」 |
| 第5回 | 予防法務 | 「就業規則の整備と日常の書面管理が最大の防衛策」 |
在タイ日系企業へのメッセージ
タイの労働法制は、一見すると「解雇の自由」があるように見えますが、実態は「書面・証拠・手続き」に対して非常に厳格です。日本のように「後から話し合えばなんとかなる」という感覚は通じません。
しかし、正しいルールを理解し、日常的な労務管理を適切に行えば、タイでの雇用管理は決して難しいものではありません。問題が深刻化する前に専門家に相談し、プロアクティブな予防法務を実践することで、解雇トラブルの大多数は未然に防ぐことができます。
本連載が、在タイ日系企業の皆様の労務管理の一助となれば幸いです。
タイの労務管理・解雇問題でお困りの際は、ぜひお気軽にご相談ください。初回相談は無料で承っております。 タイの法律問題については日本語でご相談をお受けし、タイ法に関する具体的な対応は提携先JTJB International Lawyersのタイ人弁護士と連携いたします。
本記事はタイの法制度に関する一般的な情報提供を目的としており、タイ法に基づく法的助言を構成するものではありません。具体的な案件については、タイの弁護士資格を有する専門家にご相談ください。当事務所では提携先JTJBのタイ人弁護士と連携して対応いたします。